突然介護生活に転機がやってきた

前回書いた時からまた時間がたってしまった。

 

大きな転機があった。

父を施設に預けることになった。

特養は無理だったけれど、ショートステイの施設でロングで預かってくれる施設が見つかったからだ。

 

決断したきっかけは8月の終わりくらいから、父のおむつや着替え、ショートステイへ行く時に車椅子へ移乗したりするなど力を使う時にかならず私の心臓に痛みが走るようになったこと。

それはもうここ1年・・2022年にも同じような症状で検査を受けているとお医者さんに言われたので2年前からは心臓に違和感を感じてはいたようだけど、以前は力を入れた時の数分間ほどの痛みだったけれど、この8月くらいからは心臓の痛みが数日に渡って続くようになってしまい、このままでは両親を見送る前に私のほうが先に逝っちゃうかもとリアルに感じるようになった。

 

なんとか頑張ってきたけど、両親の介護をひとりで続けるのはもう限界だと感じた。

すぐにケアマネージャーに相談したところあちこちの施設に電話してもらって特養は無理だったけれど、運良くショートステイの施設でロングで預かっていただけるところが見つかった。本当にちょうどその日ロングの人のキャンセルが出て部屋が空いたところだったという。お金の心配はあるものの今はもう限界なのが自分自身確信できているので、迷う間もなくおさえてもらって入所の手続きを進めてもらった。

 

できることなら在宅で最期までとは思っていたけれど、でも今回でふっきれた。

まだ父だけだったら頑張れたかもしれないけど、要介護の母もまだいる。

余力を残しておかないと。それと自分自身も大切にしないと。

 

父をあずけてからもう一ヶ月たったけれど、やっと施設からの呼び出しもおちついてきた。それに合わせてか心臓の痛みもなくなってきている。

心臓だけに不安もあったから心電図もレントゲンも撮って診てもらったけれど、異常なし。結局は過労とストレスからということだった。

とにかく休むこと、眠ること。

とはいっても、母がいるからなかなか自分のリズムで生活できているかというとできていないので、相変わらずぐっすり眠れる日は少ない。

 

今日などは結局一睡もできないので、時間つぶしのためにこの一ヶ月のことを書いてみた。

ロングとはいってもショートステイの施設にあずけているので、一ヶ月に一度は帰宅するか1日だけ満額支払うかという感じなんだけど。今回は一時帰宅を選択。

よく何年も父の介護をやってきたなと一ヶ月ぶりにもどってきた父の体の始末をしていて改めて感じた。

今月もまた一時帰宅を予定はしているけど、できるかな。

母も自宅のなかを歩くのもあやうくなってきているので、母のたてる物音を常に気にしておかないといけない状態なので、今月も父の一時帰宅を受け入れられるか思案中。

それに急激に寒くなってきたし。

古い木造住宅の我が家はなかなか部屋の温度調整がむずかしい。

どうしようか悩む。

心臓の痛みでSOSを出した話

先月末あたりから心臓のあたりに違和感。

そして深呼吸をしても息が全て肺に入っていかない感覚。

 

今までも上記のようなことはあったけれど、数分じっとしていれば治ったりしていたけれど今回は数日続いていました。

 

心臓が痛いと感じるのは父のおしもの処理をしている時にたびたび感じていました。

父は高齢だけど昔プロや東京の大学からもスカウトがくるくらいのスポーツマンだったので未だに体が大きく骨がしっかりしています。

一番体重があった時にくらべれば10kg以上体重が減ったとはいえまだ70Kgはあります。

さらに脳梗塞で半身不随なので体を動かすにもほとんど力が入らない状態なので自分の力でなんとかしないといけません。

そのたびに心臓の痛みだったり、頭からまるでマンガかアニメのように滝のような汗が流れ出て呼吸も乱れます。

なんとか始末を終えたあと必ず思うのは父よりも私自身のほうが先に死んじゃうんじゃないかという危機感。

 

昨年も胸が痛いことがあったので病院で検査してもらったけれど異変は見当たらず。

また今回も検査したって何もない可能性もある。それでも心臓の痛みが続くのは怖いので病院へ予約を入れていくことに。

以外にあっさりというか、すぐ来てくださいという事だったので思っていたよりも緊急性はあったのかもしれませんが、いつもだったら何時間も待たされることもあるけど、今回は心電図に採血にレントゲンとトントンと検査がすみました。

結果は異常はなし。

 

ただ私の今の状況からしたらストレスからきている痛みだろうという事。

もう何年にもわたって睡眠時間は2時間くぎり。

父がショートステイへいって留守にしていても少しの物音で目がさめてしまったり、更年期もあって夜中にいきなり大量の汗をかいてしまって眠れなかったり。

常に熟睡できない状態が続いていてそれが日常になってしまっていたので体が限界をおしえてくれたのでしょう。

 

そういえば今年の二月くらいに、一度気を失って気がついたらキッチンの床で倒れていたことがありました。

気を失ったのは数秒か数分くらいではないかとおもいますが、しばらく起き上がることができずに床が冷たいと思いながらも体が動くまで倒れていたこともありましたが、起き上がることができたのでそんなことがあったことも忘れていましたが、それもまたストレスによる失神だったようです。

 

今まで何度も自分の体の異変を見逃して大病になってしまったこともあるので、今回は自分だけではすまないので早めにSOSを出すことにしました。

 

今回は思い切ってケアマネージャーに相談し父を長期で預かってもらえるステイ先を探してもらいました。

いろいろと医療措置の必要な父なので特養も順番待ちをしても順番はめぐってこず、ショートも条件があうところは少なくて困っていましたが、今回は運よくケアマネージャーと自宅で話をしていた時偶然にショートステイ先でロングステイをしている人が急遽入院してしまって部屋が空いたと連絡がきました。

もう今しかないと思い迷う間もなく父を預かっていただくことに。

 

父にロングで施設に行く事を伝えるのに躊躇はしましたが、妹が父を説得してくれてやんちゃも言わずに行ってくれることになりホッとしました。

 

父は先週から施設に行ってくれているのですが、それからは食事と少しばかりの掃除程度でほぼ寝ている状態ですごしています。

もう何年もぐっすり眠ることができなかったので、処方してもらった睡眠薬も服用しました。

今までも処方はしてもらったことはありますが、夜中に両親がそれぞれ緊急対応が必要ということがたびたびあったため、睡眠薬を飲んで眠ることもできずにいましたが今回は母の体調も安定していこともありやっと薬が飲め、ぐっすり眠れることができるようになりました。

 

やっぱり介護で一番大変なのは眠れないことかもしれません。

そのせいで体調をくずすし、まともな判断もできなくなります。

介護はゴールが見えないので睡眠障害のような症状が出始めた時は、早めにSOSを出して助けてもらわなくてはいけないかもしれません。

 

また少ししたら元の生活に戻る可能性もあるので、休める時間はしっかり休もうと思います。

 

 

猫の手も借りる介護生活

猫のヘルパーさん




本日母の要介護認定結果通知書が届きました。

要介護1から2になっていました。

 

父の介護とともに母の介護もしていますが、じわじわと母にも手がかかるようになってきているのも実感していましたので要介護2の判定は納得です。

 

昨日夜7時くらいだったでしょうか。

門を閉めにいき戻るついでに、暑さにかまけて伸び放題になっていた植木の枝を10分程度ですが切っていたところ、汗が滝のように流れてきたので家に入ろうとしたところ玄関に鍵がかかっていました。

インターフォンを押せども何の反応もなし、母の部屋にはあかりはついていましたが母は一向に出てきません。

しかたなくリビングの掃き出し窓をおもいっきり割れるのではというくらいのいきおいで叩いてもやはり母は気がつかません。

ここ数ヶ月で母の聴力はかなりおちています。

もう一度玄関にもどってインターフォンを押し、ドアが壊れる勢いで取手をにぎりガタガタと音を鳴らしました。

 

すると玄関の横のすりガラスに黒い猫の影。

 

我が家には2匹の猫がいます。

1匹はオスの長毛のタキシード猫

もう1匹はメスの白猫

 

長毛猫のほうが音に気がついて玄関まで来てくれたようです。

私の様子を伺ったあと猫影は部屋の中に消えていったのですが、そのあと何と母を連れてもどってきました。

やっと母は鍵をかけてしまったことに気がつき玄関ドアをあけてくれましたが、下手をすると一晩中気が付かない可能性もあったかもしれません。

 

大袈裟のようにも思われるかもしれませんが、認知もあり耳も遠くなってきている母のことを考えると何時間もの締め出しもある可能性は高いのです。

たとえスマホを持っていても、電話の音に気が付かないことも今まで何度もあったので。

今後はほんの少しでも玄関から外に母に一言声をかけなくてはと肝に命じました。

 

それにしても猫ちゃんに助けられるとは。

いやいや実は我が家は猫に結構介護を助けてもらっています。

特に長毛猫。

この子は子猫の頃からちょっと不思議な子で、医者が癌を見つける前から癌の場所を教えてくれていました。

いずれ詳細は書こうとは思いますが、多分癌独自の匂いを感じていたのはないかと今は思います。

癌が転移した場所も医者よりも先にわかっていたようだし。

 

それ以外にも、いつもは鳴かない猫が大きな声で泣き叫び私を呼びにきたことがあります。足音もわざと聞こえるようにドタドタと音とたて走ってきて私の足もとで大きな声で鳴きます。

普段は大柄な猫の割にはか細い声の上に滅多に鳴くこともない子なのに、その時は大きな声で鳴いてまたバタバタと音をたててお風呂場のほうに走っていくのでついていったところ、母が鼻の下あたりまでお湯に浸かって寝ていました。

あと少し気が付かなかったら母は溺れていたかもしれません。

 

父が脳梗塞を起こした日も、私自身も脳梗塞を経験しているので父も脳梗塞なのではと思い訪問看護に急遽きてもらったところ、その時には私が感じた脳梗塞の症状はおさまっていたので緊急性はないとのことで先生をよびほどでもないとのことで安心していたのですが、その後いつもは私に抱きつくことはめったにない長毛猫が私の首にぶら下がる勢いで抱きつき鳴き続けます。

しかたがないことだけど、もしその時猫のおしらせを信用して緊急で病院へ行っていたらひょっとしたら父は寝たきりにならなかったかもしれません。

 

それ以外にも何度も何度も長毛猫ちゃんは両親そして私自身の体調や緊急事態を教えてくれています。

 

我が家は2匹の猫を飼うまではずっと犬がいて、実は猫を飼うのはこの2匹が初めてです。

猫は気ままで自由だと思っていましたが、びっくりするくらい言葉を理解し、そして家族を見守ってくれることに驚きました。

ただどの猫にも我が家の長毛猫のような能力があるわけではないということは、長毛猫の後で飼うことになった白猫と比較してをみるとわかりましたが、特殊能力がなくても白猫の愛らしい姿は母の認知の症状の進行具合をゆっくりにしてくれていると感じています。

猫を飼う前の母は、1日布団にくるまって寝ているか、テレビをつけていても見ているのか見ていないのかわからないくらいの無表情で、自分から話すこともしませんでした。

けれど今は毎日猫の姿を見て笑っています。

そして毎日猫ちゃんと会話をしています。

猫のお世話は自分がしなくてはならないと思っているので、猫がいることで生きる気力があるようです。

以前の廃人のような姿を知っているだけに随分よくなってるとは思いましたが、体のほうは少しづつ老いてきています。

以前は猫が床に転がっていても猫を避けて歩くか跨ぐこともできていましたが、今は壁や椅子の背に手を添えても猫を跨いで歩くことはできず、猫にどいてくれるようにお願いしています。

お願いしてもなかなか猫は動いてくれないところを見ると、足をあげて跨ぐ練習をしなさいトレーニングだよと言っているようにも思います。

まだ春くらいは母も手すりをつかわなくても歩けていたんだけど、ここ数年のコロナの影響と、猛暑が二ヶ月ほど続いていて、なかなか外を散歩することもできなくなっているので足の筋力が衰えてきているのでしょう。

 

猫ちゃんが跨いで歩けと言っているので、頑張って母には猫を跨いで歩く練習をしてもらいたいものです。

 

 

 

 

うんちうんちうんち・・・うんち爆弾に呆然とする

先週深夜父が人工肛門に貼り付けてある袋の部分が痒いと言うので取り替えをしました。

だいたい痒みがある時みは便が漏れていることが多いのと放置しておくと皮膚が爛れてひどい時には溶けてしまうこともあるので取り替えをします。

深夜でしたがもう何年も取り替え作業はやっているのでささっとやって寝るかくらいに思っていたところ、人工肛門から便をためるパウチをとって腹部の清拭をしていた時父がおもいっきりくしゃみをしました。

 

そしてその瞬間大量の水便が部屋中に飛び散りました。

ただ運が良かったのは、便が飛び散った方角に私がいたために多くが私の体にかかって防御できたことです。

それでもやっぱり部屋のあちこちやベッド、放出した後もドクドクと水便状の便は人工肛門から流れ出し防水シーツもパジャマも便まみれに。

しばらくどこから手をつけて片付けたらいいのか呆然として数分途方にくれました。

やらざる終えないので半泣きで処理をしましたが、びっくり。

 

その後も二日ばかり父がショートステイに行っている間、掃除をしてましたが、してもしても父の部屋から便臭がするので家具もどけて掃除を徹底的にしました。

そしてその便の飛び散り具合を見て人間の腹圧ってすごいなと実感しました。

 

やっと臭いもとれてついでに大掃除もできてホッとしていた本日。

さすがに便の大爆発はそうそうないとは思っていましたが、昼食前のオムツ交換に父の部屋に入ったところ臭いがただよっています。

急いてみるとすでに人工肛門に取り付けてあるパウチから便が溢れ出ています。

パジャマ一式と防水シーツも便まみれに。

水便に近い軟便なので背中のほうまで便まみれ。

もううんちうんちうんちうんち・・・・。

 

それでもお昼時なので食事を作って父と母それぞれ食べさせないといけなくて疲れきりました。

本当に疲れました。

 

特養は申し込みをしていて一年以上たちますが順番がきません。

両親とも要介護で父は要介護5の状態。

確かに父は医療的な措置が必要なこともある上に、体が大きくて体重もあるので受け入れるには父用に備品を購入しなくてはらならないとかで、それも了承はしているんだけど、正直父の体の処置をしているとき滝のような汗がどくどくと流れて心臓が痛くなったり、後頭部にも痛みを感じることがあるので、自分のほうが先に死んでしまうんじゃないかと感じることがあります。

 

入退居指針があるとのことですが、ひとりで両親介護をしているというのは指針の中ではカウントされないんでしょうか。

このところ母も足腰が弱くなってきて、近々車椅子を借りることになりました。

 

そろそろ私の限界も近づいてきています。

 

 

 

父に愛されない娘が介護する葛藤

猛烈な暑さが続いています。

でも少しだけこの暑さにも慣れてきました。

 

7月に入って暑さのせいなのかそれとも介護疲れなのか、3日に一回は全く眠れない日が二週間ほど続きました。

若い頃は徹夜をしても睡魔と戦いながらもなんとかなっていましたが、アラカンともなると1日眠れないと生活リズムが戻るのに数日。

それが3日に一回の割合で眠れない日がきていたので戻る間もなく、日中も朦朧としながら生活していました。

眠れればいいんだけど、介護をしていると時間どおりにしないと後が大変ということがあるので、眠りたくてもぐっすり眠ることはできません。

 

介護をしていて眠れないことは、介護生活の中でもしんどいことの筆頭ですが、眠れないことは精神的にも影響してきます。

今回ははやいところなんとかしないと、本気で自分自身入院もあるかもというところまで来ているのがわかっていたので、ケアマネージャーに相談して父のショートステイの日数を増やしてもらうことになりました。

 

でも次はどう父にショートステイの日数が増えたことを伝えるかです。

 

父は私を子供のころから可愛くは思ってくれてはいませんでした。

それを幼心にもわかっていましたが、それでも父に愛して欲しくてなるべく怒らせないようにしていたのですが、いつも理不尽なことで怒られどなられ、そして手を挙げられていました。

殴られるということは中学生くらいで終わりましたが、言葉の暴力は続きました。

それは今でもあります。

 

「子供が親の介護をするのは当たり前だろ」

「みんな親の介護しながら働いているのにお前は情けない」

「どれだけ弱いんだ情けない」

 

これはここ半年くらいで言われたことです。

最後の言葉は今週ショートへ行く日に言われました。

 

父にとって私は普通の人ができることすらできない情けない人間なのです。

これだけやっていても感謝の気持ちもなければ、私の体調を心配する気持ちもありません。

それがわかっていたので、ショートへ行く日数を増やした時には、私の体調が悪いとストレートに言うことはせず

「体調がすぐれないから病院へ行きたい。私が倒れたらお父さんもお母さんも二人とも施設に預かってもらわなくてはならなくなるから今回は数日長くショートに行ってね」

と父に言いました。

 

本当は素直に私の体調がすぐれないから今回は数日長くショートに行ってねと言うことが怖かったのです。

そう言うと父から私の体調など関係なくただ非難されるのではないかと。

父にとって私は何の価値もない人間なのだといわれるようで、私のためにショートにいつもより長く行ってと言うことはできませんでした。

 

でも今週ショートへ行く当日の朝父が行くことをごねた時ふと父の本心をどうしても知りたくなって言ってみました。

私が想像していたことは私の被害妄想で、父も私のことを少しでも思いやってくれているはずだと。

 

「お父さん、私まだ体調が戻らないからショートに行ってね」

と。

でもその答えは

「どれだけ弱いんだ情けない」

という言葉でした。

 

ショートのお迎えまで15分きっていましたが、父の本心を知って涙がボロボロでてきました。

やっぱり私は父に愛されてはいない。私の体調を気遣うことすらない。

わかっていたけど嘘でもいいから、大丈夫か、よくやってくれてるとか、ありがとうとか労いの言葉を一言でもいってくれたらそれだけでまだ頑張れるのに。

 

私は頑張れていないのだろうか。

脳梗塞で倒れて左半身の麻痺がある状態から介護生活がはじまって、更には子宮も全摘して更年期障害もくわわった上に、父だけでなく母の介護も一人でして。

心おきなく眠れたのなんていつが最後だったかわからない。

これだけしても私は父にとっては情けない娘なのか。

 

私の場合の介護のしんどさは肉体的なことよりも、この父と心がずっとすれ違いつづけていることです。

 

それでもなお、還暦近くになっても父に愛されたいと思うのは、今更と感じることもあるけれど、何か介護生活を頑張れる糧がほしいのです。

 

父に私自身を認めてもらいたくてたまらないです。

 

今日は父がショートステイから帰ってくる日。

この頃父が帰ってくる日になると、気持ちが落ち着かなくて母に当たってしまうこともあります。

母はそんな私に

「何もできなくてごめんね。いつもありがとう」

と手を合わす。うれしいけど悲しい。

 

更年期と介護は同時進行 人生綱渡

なかなか眠ることができない。

ここ一週間のうち一睡もできない日が3日

若い頃は徹夜をしてもその次の日に眠れば元に戻っていたけれど年齢を重ねると戻るまでに数日かかる。

昨日は眠れたのに、今日は寝るまえに心が痛いニュースを見てしまったせいだ。

 

タレントRさんの死。

誹謗中傷に心を痛めて亡くなったという憶測はあるものの今の所理由はわかっていない。

誹謗中傷も一因ではあるだろうけれど、ひょっとしたらホルモンバランスが悪くなって心の均衡がとれなくなったということはないかな。

彼・・いや彼女と今は言うべきか。

急激に男性から女性の体型に変わっているので女性ホルモンを接種しているのかなと思う。

ホルモン注射を打ってどれくらいで体型がかわってくるかはわからないけれど、かなり早く変化があったような気がするので、心がそれについていけてたか。

 

私は更年期とほぼ同じく介護に突入してしまった。

介護が始まると同時くらいに子宮を全摘したのでその影響で更年期はやってきた。

 

子宮摘出から半年くらいでホットフラッシュがおこり更年期がきたと自覚したけれど、今考えてみるとホルモンバランスが悪くなって精神的に不安定になることのほうが早かったように思う。

 

その当時、ふとした瞬間に自分の縊死した姿を想像してしまうことが頻繁にあった。

ただ妄想するだけだから死ぬわけではないけれど、そういう妄想をしてしまうことが怖くて怖くてしかたがなかった。

 

父が寝たきりになってから一年くらい経った昨年の秋。

寝たきりの父の介護にも慣れてきた秋晴れの心地のいい日。

私の体もここ数年感じたことがないくらい軽くて穏やかな気持ちでいたのをはっきりと覚えている。

 

庭の軒下でひなたぼっこをし秋の空気を楽しみながら上を見あげた先の軒下に、結構立派な梁が使っていることに気がついて梁を見ていた。とてもいい気分なのになぜか

「この梁に縄をかけてゴミ箱の上に乗ってあとはゴミ箱を蹴れば失敗しないか。縄はたしかガレージの壁に木綿で作ったものがあったはず」

と考えていた。

 

介護が始まった頃の自死を妄想をしていた時は怖くてしかたがなかったけれど、昨年の秋のその日はとにかく穏やかな日で自分の心も穏やかで清々しさすらあったことをよく覚えている。

 

そんな状態にも関わらず、軒下の梁の下まで歩き梁を見上げて自死の手順を考えていた。

ただそれを実行するにはひとつ道具が足りないことと思った以上に大掛かりになりそうだということに気がついてやめた。

我が家の隣には数十台はおける駐車場があるのでそこそこ人が通るのと、生垣が防犯のため少し隙間があり庭の中が見えるようになっている。

人が通るのが見えて、今やったら驚かせちゃうからブルーシートで軒の下を囲ってからと考えたけど、我が家にはブルーシートがないのと、代わりのものあったとしても軒下に囲うように吊るすにはかなり労力が必要なことに気がつき実行はできなかった。

 

その後、妄想から実行する手前まできてしまったことで、私自身考えている以上に精神的に追い詰められていると感じケアマネージャーに相談して介護の方法を変えてもらうことにした。

 

今は自死を考えるということまではないけれど、本当にそんな些細なことでというレベルの出来事がきっかけで鬱っぽい状態におちる時はある。

 

人生綱渡。

 

有名人の自殺というニュースを見るといけない。

有名人にかぎらずか、ここ数年はなるべくそういうニュースを目にすると極力情報を遮断するようにしている。

何がきっかけで自分の心が負に傾くかわからないので、距離を置くようにはする。

でも有名人のニュースはSNSとかでも流れてくるし、今日朝からはその話ばかりになるかも。

できるならオールスターに出た大谷くんの話題を流してほしい。彼も含め彼の周りの人みんな心からの笑顔なのがいい。

 

今日は眠れるはずだったけど、目を閉じてもいろいろ考えてしまう。

もう朝になってしまった。

 

もうこうやって文字にしたから頭からは抜けるはず。

眠らないと。今日も介護は待っている。

少し暇ができたと思ったけれど介護は日々変化する

ここ数年スポット的に自分の時間がとれる瞬間がある。

せっかくできた時間であっても日々介護に追われる生活をしていると何をしたらいいのか悩む。

 

そんな時、実はブログを書いてみようと何度か考えそして書いてみた。

そのたびに更新は3回程度で終わってしまった。

まさに三日坊主。

 

ただ決してブログを書くことが苦手というわけでもない。

タグ打ちでHPを作って日記を書いていたこともあるし、昔の掲示板形式の日記サイトに書き込んだりもしていた。

そしてアナログでは介護日記は5年目に突入している。

介護日記に関しては、最初は手帳に両親そして私自身のスケジュールや体調のことに関してメモ程度に書いていたけれど、手帳では書き込みスペースがたりなくなってノートに書くことにした。

そちらの方は体調のこととかちょっとしたプライベートなトピックを書いていて一ページにつき5年分の同日の日を書くようにしている。

2年前はまだ両親と三人でおでかけしていたなとか、家の庭に遊びにくる野良猫の観察とか・・どうでもいいことなんだけど猫の観察はおもいの他おもしろい。介護で自宅にいなければ野良猫がいるなくらいしか気にしなかったけど。

 

それはおいといても、せっかくアメブロにアカウントを作ってまずは今心にたまっていることを書いて自分自身楽になろうなどと思っていたけれど、そんな矢先父の体調不良や自分自身の不眠などがかさなっていきなりの三日坊主となってしまった。

 

一時期に比べれば寝たきりの父の介護というのはある程度ルーティンができるので、なれたら時間を見て同じことを毎日繰り返せばいいので自分の時間を作ることはできる。

とはいいつつも、毎日体調の変化はあるのでいろいろと調整は必要だけど。

ただ寝たきり介護が楽だというわけではないけれど、私の経験からすると寝たきりよりもまだ父が自由に動けて歩けていた頃のほうが大変だった。

 

24時間気持ちがやすまる時間がなかった。

少し目を離すと勝手に外出してしまって転倒して血まみれで帰ってきたりだとか、おしっこを我慢して帰ってくるのはいいんだけど、間に合わずに玄関で漏らしちゃったりだとか、一番大変だったのはトイレ。

ひとりで行ってくれるのはいいけれど、オムツパンツをするのを嫌がっていたので、おしっこを垂れ流したままトイレの中も父の自室までの道筋にもずっとおしっこの漏れた跡が。

朝起きて最初の仕事が父のおしっこ掃除というのが泣けた。

糖尿病だったので時間がたったおしっこの跡は水飴が固まったみたいになっているのでお湯で拭きあげないとべたべたがとれなかったので、寝起き最初が力いっぱい拭きあげる雑巾掛けというのは結構しんどかった。

今思い出しても、一番大変だったのは自由に動ける時だったように思う。

 

テレビで徘徊などで外出してしまう親を介護している人のドキュメンタリーを見たりすると、この時期が一番大変だよなと思う。

動けるから介護度も軽く認定されてしまうけど、でも動けると家の中ででも常に何をしているのか意識を向け続けておかなくてはならないから心も体も休まる時がない。

 

今少し母がその状態になりつつあるので、寝たきりの父と動けるけれど要介護の母をひとり介護がどこまでできるのか、もう近いうちに介護の方向性を考えないといけない時期になってきている。

 

ちなみにもちろんヘルパーさんにも来てもらっているし、父はショートステイも使っている。

それでも体力気力ともひとりで両親を見るのはなかなかヘビーだ。