父に愛されない娘が介護する葛藤
猛烈な暑さが続いています。
でも少しだけこの暑さにも慣れてきました。
7月に入って暑さのせいなのかそれとも介護疲れなのか、3日に一回は全く眠れない日が二週間ほど続きました。
若い頃は徹夜をしても睡魔と戦いながらもなんとかなっていましたが、アラカンともなると1日眠れないと生活リズムが戻るのに数日。
それが3日に一回の割合で眠れない日がきていたので戻る間もなく、日中も朦朧としながら生活していました。
眠れればいいんだけど、介護をしていると時間どおりにしないと後が大変ということがあるので、眠りたくてもぐっすり眠ることはできません。
介護をしていて眠れないことは、介護生活の中でもしんどいことの筆頭ですが、眠れないことは精神的にも影響してきます。
今回ははやいところなんとかしないと、本気で自分自身入院もあるかもというところまで来ているのがわかっていたので、ケアマネージャーに相談して父のショートステイの日数を増やしてもらうことになりました。
でも次はどう父にショートステイの日数が増えたことを伝えるかです。
父は私を子供のころから可愛くは思ってくれてはいませんでした。
それを幼心にもわかっていましたが、それでも父に愛して欲しくてなるべく怒らせないようにしていたのですが、いつも理不尽なことで怒られどなられ、そして手を挙げられていました。
殴られるということは中学生くらいで終わりましたが、言葉の暴力は続きました。
それは今でもあります。
「子供が親の介護をするのは当たり前だろ」
「みんな親の介護しながら働いているのにお前は情けない」
「どれだけ弱いんだ情けない」
これはここ半年くらいで言われたことです。
最後の言葉は今週ショートへ行く日に言われました。
父にとって私は普通の人ができることすらできない情けない人間なのです。
これだけやっていても感謝の気持ちもなければ、私の体調を心配する気持ちもありません。
それがわかっていたので、ショートへ行く日数を増やした時には、私の体調が悪いとストレートに言うことはせず
「体調がすぐれないから病院へ行きたい。私が倒れたらお父さんもお母さんも二人とも施設に預かってもらわなくてはならなくなるから今回は数日長くショートに行ってね」
と父に言いました。
本当は素直に私の体調がすぐれないから今回は数日長くショートに行ってねと言うことが怖かったのです。
そう言うと父から私の体調など関係なくただ非難されるのではないかと。
父にとって私は何の価値もない人間なのだといわれるようで、私のためにショートにいつもより長く行ってと言うことはできませんでした。
でも今週ショートへ行く当日の朝父が行くことをごねた時ふと父の本心をどうしても知りたくなって言ってみました。
私が想像していたことは私の被害妄想で、父も私のことを少しでも思いやってくれているはずだと。
「お父さん、私まだ体調が戻らないからショートに行ってね」
と。
でもその答えは
「どれだけ弱いんだ情けない」
という言葉でした。
ショートのお迎えまで15分きっていましたが、父の本心を知って涙がボロボロでてきました。
やっぱり私は父に愛されてはいない。私の体調を気遣うことすらない。
わかっていたけど嘘でもいいから、大丈夫か、よくやってくれてるとか、ありがとうとか労いの言葉を一言でもいってくれたらそれだけでまだ頑張れるのに。
私は頑張れていないのだろうか。
脳梗塞で倒れて左半身の麻痺がある状態から介護生活がはじまって、更には子宮も全摘して更年期障害もくわわった上に、父だけでなく母の介護も一人でして。
心おきなく眠れたのなんていつが最後だったかわからない。
これだけしても私は父にとっては情けない娘なのか。
私の場合の介護のしんどさは肉体的なことよりも、この父と心がずっとすれ違いつづけていることです。
それでもなお、還暦近くになっても父に愛されたいと思うのは、今更と感じることもあるけれど、何か介護生活を頑張れる糧がほしいのです。
父に私自身を認めてもらいたくてたまらないです。
今日は父がショートステイから帰ってくる日。
この頃父が帰ってくる日になると、気持ちが落ち着かなくて母に当たってしまうこともあります。
母はそんな私に
「何もできなくてごめんね。いつもありがとう」
と手を合わす。うれしいけど悲しい。