少し暇ができたと思ったけれど介護は日々変化する
ここ数年スポット的に自分の時間がとれる瞬間がある。
せっかくできた時間であっても日々介護に追われる生活をしていると何をしたらいいのか悩む。
そんな時、実はブログを書いてみようと何度か考えそして書いてみた。
そのたびに更新は3回程度で終わってしまった。
まさに三日坊主。
ただ決してブログを書くことが苦手というわけでもない。
タグ打ちでHPを作って日記を書いていたこともあるし、昔の掲示板形式の日記サイトに書き込んだりもしていた。
そしてアナログでは介護日記は5年目に突入している。
介護日記に関しては、最初は手帳に両親そして私自身のスケジュールや体調のことに関してメモ程度に書いていたけれど、手帳では書き込みスペースがたりなくなってノートに書くことにした。
そちらの方は体調のこととかちょっとしたプライベートなトピックを書いていて一ページにつき5年分の同日の日を書くようにしている。
2年前はまだ両親と三人でおでかけしていたなとか、家の庭に遊びにくる野良猫の観察とか・・どうでもいいことなんだけど猫の観察はおもいの他おもしろい。介護で自宅にいなければ野良猫がいるなくらいしか気にしなかったけど。
それはおいといても、せっかくアメブロにアカウントを作ってまずは今心にたまっていることを書いて自分自身楽になろうなどと思っていたけれど、そんな矢先父の体調不良や自分自身の不眠などがかさなっていきなりの三日坊主となってしまった。
一時期に比べれば寝たきりの父の介護というのはある程度ルーティンができるので、なれたら時間を見て同じことを毎日繰り返せばいいので自分の時間を作ることはできる。
とはいいつつも、毎日体調の変化はあるのでいろいろと調整は必要だけど。
ただ寝たきり介護が楽だというわけではないけれど、私の経験からすると寝たきりよりもまだ父が自由に動けて歩けていた頃のほうが大変だった。
24時間気持ちがやすまる時間がなかった。
少し目を離すと勝手に外出してしまって転倒して血まみれで帰ってきたりだとか、おしっこを我慢して帰ってくるのはいいんだけど、間に合わずに玄関で漏らしちゃったりだとか、一番大変だったのはトイレ。
ひとりで行ってくれるのはいいけれど、オムツパンツをするのを嫌がっていたので、おしっこを垂れ流したままトイレの中も父の自室までの道筋にもずっとおしっこの漏れた跡が。
朝起きて最初の仕事が父のおしっこ掃除というのが泣けた。
糖尿病だったので時間がたったおしっこの跡は水飴が固まったみたいになっているのでお湯で拭きあげないとべたべたがとれなかったので、寝起き最初が力いっぱい拭きあげる雑巾掛けというのは結構しんどかった。
今思い出しても、一番大変だったのは自由に動ける時だったように思う。
テレビで徘徊などで外出してしまう親を介護している人のドキュメンタリーを見たりすると、この時期が一番大変だよなと思う。
動けるから介護度も軽く認定されてしまうけど、でも動けると家の中ででも常に何をしているのか意識を向け続けておかなくてはならないから心も体も休まる時がない。
今少し母がその状態になりつつあるので、寝たきりの父と動けるけれど要介護の母をひとり介護がどこまでできるのか、もう近いうちに介護の方向性を考えないといけない時期になってきている。
ちなみにもちろんヘルパーさんにも来てもらっているし、父はショートステイも使っている。
それでも体力気力ともひとりで両親を見るのはなかなかヘビーだ。